明治34年京橋畳屋町にて屈指の畳屋と云われた山伝号事山本伝次郎畳屋に、13歳で弟子入れし苦難の徒弟修業を経て、大正13年現在地に個人開業したのが初代代表取締役新藤市太郎でした。
畳一途の技量は、著名建築家の畳工事を数多く拝命し、署名家や官公庁のお出入を許され、また昭和25年5月には大手財閥の畳専属人として認許登録を頂き、同社管理の建物一切の畳工事を施工したと言われております。
その後、家業から企業への変革を目指し、昭和24年に個人経営「新藤畳店」を発展的に解散し「株式会社新藤畳店」として法人化。さらに昭和41年には室内装飾業務を開始し、社名を「株式会社新藤商店」と改め、畳業にとどまらず幅広い住環境づくりを担う企業へと歩みを進めました。昭和50年には千葉県浦安市に建坪130坪の浦安工場を新設し、畳職人の技術を活かしながらも大量製造に対応できる体制を整え、安定した品質と供給力を実現。
現代表の新藤一郎は、大勢の畳名工を従えた故会長新藤節譽の下で薫陶を受け、畳づくりの真髄を習得した後、平成14年に代表取締役へ就任。さらに事業の拡大と体制強化を進め、平成24年には森下工場を建替え、株式会社新藤商店森下支店(内装工事部)を新設。令和2年には千葉県浦安市工場を全面建替えし、2階建て160坪の最新設備を備えた畳工場として竣工いたしました。これにより、より効率的で高度な生産環境を整備し、多様化するお客様のニーズに応えられる基盤を確立しました。
先代が築いた仕事に対する「責任」と「お客様第一」を信条に、皆様のおかげで創業100周年を迎えることができ、現在に至ります。
ごあいさつ
おかげさまで株式会社新藤商店は、2024年3月に 創業100周年という大きな節目を迎えることができました。これもひとえに、長年にわたりご支援くださったお客様、お取引先様、そして日々力を尽くしてくれる社員一人ひとりの存在があってこそです。改めて、心より感謝申し上げます。
大正13年、初代店主新藤市太朗が日本橋兜町に新藤畳店を開始いたしました。その後時代の変遷に直面しながらも、昭和47年には畳の製造を行う浦安工場を建設し、平成24年には新たな事業領域へと挑戦を広げるべく内装を行う森下店を新設し、令和2年には浦安工場を建替え、畳の製造を自動制御できる最新設備を備えた工場へ全面リニューアル致しました。
この100年の歳月は、1つひとつの出会いと絆、そして支えてくださった皆様との信頼から生まれた大切な歴史です。
これから先も私たちは立ち止まることなく、伝統という礎を胸に、次の100年へと確かな一歩を踏み出してまいります。
今後とも変わらぬご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。
株式会社新藤商店 代表取締役 新藤一郎
新藤商店 これまでの歩み
| 大正13年4月 | 中央区日本橋兜町3丁目30番地に新藤市太郎を店主として 「新藤畳店」を開始する |
|---|---|
| 昭和21年9月 | 埼玉県葛飾郡吉川字河藤651番地に敷地120坪、建物60坪全自動式畳床工場を併設 |
| 昭和23年1月 | 中央区西八丁堀1丁目2番地に第2畳作業所を新設 |
| 昭和24年3月 | 個人経営「新藤畳店」を発展的に解散、「株式会社新藤畳店」として新発足する |
| 昭和33年6月 | 江東区深川森下町2丁目12番地に森下工場を併設 |
| 昭和41年2月 | 室内装飾業務等に進出する事を考慮し社名を「株式会社新藤商店」と変更 |
| 昭和47年1月 | 千葉県浦安市に建坪74坪の浦安工場を新設 |
| 平成7年5月 | 千葉県浦安市に株式会社新藤商店浦安営業所を新設 |
| 平成24年10月 | 森下工場を建替え、株式会社新藤商店森下支店(内装作業場)を新設 |
| 令和2年8月 | 千葉県浦安市工場建て替え竣工。2階建て160坪 |



伝統の良さを大切に守りながらも、建材床の導入や置き畳といった新しい技術を積極的に取り入れ、畳は常に時代に寄り添う形に進化してきました。どんな時代においても、畳は消えることの無い日本の伝統文化のひとつです。畳には無限の可能性があり、日本だけでなく、この文化を世界にも広めていきたいと考えています。
さらに、畳技術のすべてを、内装という広い分野においても先代より受け継いだ信条を受け継ぎ、より快適な住空間の創造を追求します。
私たちはこれからも、全ての仕事に真心を込めて、文化・社会に貢献していけるよう技術を磨いてまいります。
